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本多 正樹 (UCLA Anderson School, Class of 2003)さんの留学体験

バックグランド
1967年 兵庫県生まれ。父の転勤で、4つの小学校を転々として、小6から地元神戸。中学卒業と当時に、東京での一人暮らしを初めて、1990年大学卒業。
1990年 NTTデータ入社、その後留学までの12年間、病院情報システムの設計・開発(5年)、マーケティング・セールス(7年)に従事
2001年 同社派遣生としてUCLA Anderson留学。最高の2年をWestwoodで過ごす。(コアの間はSection C、クラブはJABA(VP of Admissions), Entrepreneur Association, Anderson Tennis Club, Public Speech Club)
2003年Anderson卒業後、2年間同社の新規事業インキュベーションチームを立ち上げ、全社の新規ビジネス案件の発掘と事業化スタートアップを推進
2005年 留学指導のアゴス・ジャパン 当時、ザ・プリンストン・レビュー・オブ・ジャパン)に転職
2006年3月より、代表取締役社長

My “Why UCLA Anderson?”
この質問に答えようとすると何時間あってもおそらく足りないと思います。その一方で、実は一秒で十分なのかもしれません。それくらいに、カリキュラム・教授とクラス・設備・学生の人柄と人数と校風・ロケーション・街・住環境・気候、など全て総合して、私にとってはとにかく「理屈抜き」で最高のビジネススクールです。
敢えて言うと、2年間学び、語り、互いに高めあう場としての「Andersonのカルチャ」が私にとって最も大切なWhy Andersonです。”Excellence without Attitude”−そんな人間たちが集うAndersonコミュニティの仲間に入りたくて仕方ありませんでした。そして、卒業後5年経った今、そのコミュニティのメンバであることを心から誇りに思います。
ちなみに・・・。出願していた2001年の正月に書いたエッセイを引っ張り出してきて読んでみたのですが、キャリアゴールこそ変化・進化しましたが、Andersonへの強い恋心は当時も全く同じだったことを再確認できました。7年前、オンライン出願のSUBMITボタンを押す瞬間、家族全員(妻と子供2人)をパソコンの周りに呼び寄せて、「押すぞ、いいな、押すぞ!」と言いながらクリックしました。家族全員で「絶対Anderson!」−そんな思いを共有しながらの出願でした。

My UCLA Anderson Days
2年間通して、本当に納得いくまで学び、そして遊びました。
よくよく考えてみると、「10代はお受験」育ちの自分の人生を振り返ってみると、試験に合格すること以外の明確な目的意識をもって本気で学ぼうとしたのは、実は今回のAnderson留学が初めてだったような気がしています。それだけに、ケースは読み物として楽しかったし(分析やWrite-Upはてこずりましたが・・)、グループワークはもちろん山あり谷ありですが、国籍・人種を超えたクラスメイト同士のダイナミクスを感じることができました。
もちろん苦労もありました。最初の学期に、徹夜しながらケースディスカッションの準備をして、いざ授業に入ると全く手を挙げることもできず、あっという間に授業終了・・・そんな悔しい思いとフラストレーションを10週間繰り返したこともまた、今となっては自分の本質的な弱さと課題を知る上で、非常によい経験だったと思います。
一方、遊びの視点。これはもう、LAというロケーションを堪能しないわけにはいきません。クラスメイトと、家族4人で、親兄弟や日本から来てくれた友人たちと、キャンパス外の時間を大いに楽しみました。具体例については、枚挙するに暇がありませんが、1年目が終わった後の夏休みに家族で行った「30日間アメリカの国立公園めぐりの車旅行」、それから「卒業式直前の思い出の早朝ゴルフ(→結果的に、クラス全員での卒業記念写真撮影に間に合わないハメになりましたが・・・)」、などAnderson留学していなければあり得なかった経験ばかりです。
余談となりますが、食もまた然り。反対意見があることは覚悟の上ですが、Fat Burger, Baja Fresh, そしてPanda Express(のOrange Chicken)、この3つの味に出会えたことは私とってのひそかな喜びの一つです。

My Career
私のキャリアの軸は2つです。その一つ目は、「新規事業創造と永続的成長」。子供の頃、父(高速道路や橋などの土木工事ばかりやっていました)からは「絵か音楽をやれ」と言われ続けてきました。もちろんこれは画家になるとか、ミュージシャンになるという意味ではなくて、「何もないところに何かを描いたり、自分の思いや感情を音として創ったりすることの楽しさを知ってほしい」という親父なりのメッセージだったような気がします。母親からは「人と違うことをやんなさい」と、何ともB型的な(?)口癖を毎日聞かされました。また、人生というのは面白いもので、中学は地元神戸の出来立てホヤホヤの新設校に一年生として入学、就職は分社化独立したばかりのNTTデータに縁あって入社、など、どういう訳か「新」環境に恵まれてきました。入社直後は、病院向け新商品開発ベンチャープロジェクトに一つ上の先輩と2人だけで投げ込まれ、「なんとかしろ」です。「新規」にチャレンジするのは、ある意味自分の運命なのかなぁ、と感じました。それと同時に、このような新規事業開発に携われることの楽しさと幸運さと、妙な責任感にワクワクした感覚を今でもはっきりと覚えています。と同時に、「世の中や会社は、新しいことを常に考えて創り続けないと弱くなっていくものなんだ」と、成長しつづけることの難しさみたいなものを肌で感じたのも丁度この頃です。
Anderson卒業後、そしてアゴス・ジャパンへの転職後も、この「新規事業と永続的成長」への興味とパッションは日々強くなっていますし、これからもずっと追いかけ続けたい私のキャリア上の一大テーマです。
もう一つの軸は、「将来のビジョンを持ったボーダレス人財(を増やす、支援する仕事をすること)」。実はこの軸、正直、Anderson留学するまでは自分でも分かっていませんでした。別の言い方をすると、寝食忘れるくらいの強烈なパッションをITに対して持っているのかどうか、自信がないままただがむしゃらに仕事を続けてきたのが20代だったのだと思います。前職での仕事は大好きでしたし、やりがいもありました。しかし、2001年の夏に一時帰国して在校生・卒業生によるUCLA Andersonの学校説明会を企画・実施した時に、心の中で「!」が立ってしまいました。
留学までは、日本で生まれ、日本で育ち、日本の外には通算2ヶ月程度の旅行でしか出たことのない私でしたので、自分のAnderson Daysそのものを通して、留学の意義や価値みたいなものを感じてしまったわけです。また、これからもっと多くの日本人が自分と同じような体験をして欲しいし、そうすべきことだ!・・・くらいに思い込んでしまい、これまた縁あって転職を決意した次第です。留学の意義・価値に対する思いは全く変わっていませんが、今の仕事を実際にやり始めてみると、新しいことも見えてきます。留学の他にもボーダレス人財としての活躍を目指すもっと沢山の人たちを応援できる手段や新しいサービスなどはまだまだあるぞ!と、日々感じています。

最後に・・・これから留学する皆さん、留学を考えている皆さんへの応援メッセージ
私は、Anderson留学を通して、自分の真の夢とキャリアの目標を知り、かけがえのない世界の友人を得、そして何ものにも代えがたい家族の思い出を創ることでできました。自分が感じるAnderson留学の意義や価値は、年を追うごとに変わっていますが、先にも書いたように、とにかく変わらないのは「UCLA Andersonは自分にとって最高の選択だった」という確信です。これは、これまでのUCLAご卒業生の方々、今の在校生のみなさん、そして将来の出願者の人たちにとっても間違いない、私は(勝手に!)そう思っています。
そして、最後となりますが、この体験記を読んでいただいている皆さんに、私の好きな「夢八則」という詩(言葉)をお贈りして、終わりのメッセージにさせていただきたいと思います。

「夢がある人には希望がある。希望がある人には目標がある。目標がある人には計画がある。計画がある人には行動がある。行動がある人には結果がある。結果がある人には反省がある。反省がある人には進歩がある。進歩がある人には夢がある。」

大いに夢を描き、ご自身のフューチャービジョン実現に向かって、充実した毎日を送られること、そして皆さんがそれぞれの「夢八則」にチャレンジして人生を創りこんでいくことを、心からお祈り・応援しています。私も同様に、がんばっていきたいと思います。

 

 

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