UCLA留学体験 −田島弘教さんからの寄稿−
略歴
1983年生、福岡県出身。高校卒業後、将来は世界で活躍したいという夢を抱き渡米を決意。2008年にUCLA人類学部卒業。現在、エグゼクティブ・サーチ会社「サーチファーム・ジャパン株式会社」に勤務。
<留学のきっかけは?>
高校2年生の時、修学旅行でオーストラリアを訪れました。プログラムに現地高校生との交流の時間が設けられ、英語を使い(もちろん日本語は一切通じない)様々なアクティビティを行いました。私のそれまでの英語使用度は、海外旅行の経験は数回あったものの、自らコミュニケーションを取ることはほぼ初めての経験で、ジェスチャーを交え必死に自分の意思を伝えようと試みました。結果は、私の乏しい語彙力とカタコトの発音にも関わらず、何とか相手と意思疎通ができ、有意義な時間を過ごせたことは印象的でした。その時初めて「英語でコミュニケーションを取る楽しさ」を実感し、周りの世界が急激に変化し視野が一気に広がった気がしました。それまでは、日本の大学に当たり前のように進学するものと思っていたのですが、外の世界への興味に惹かれ、また中学校の英語教師であった母親の薦めもあり、アメリカへの学部留学を決意しました。
<留学当初、苦労したことは?>
やはり英語力に関しては苦労しました。留学当初における私の英語力のレベルは、日本の英語教育で重点的に学習する「文法」や「読解」は得意で不安はなかったものの、「会話」においては不安でいっぱいでした。渡米後最初の半年間はカリフォルニア州立大学付属のESL(English as a Second Language)プログラムに所属し、語学力の向上に努めました。クラスメイトは皆留学生ゆえ母国語ではない英語を必死に駆使し、お互いの意思疎通が上手くいかない時でも辞書を片手に理解し合うまでコミュニケーションを図りました。振り返ると、当時の拙い英語でも物おじせずに話しまくるという経験によって、後に体験するネイティブの人達との会話やUCLAでのプレゼンテーションの際に臆せず話すことが出来るようになった英語力と度胸を養えたと思います。一方で、相手とうまくコミュニケーションが取れず徐々に引きこもりになり、希望を胸に留学したものの途中で断念する方たちも多数いるとも聞きますが、新しい環境に適応する際は最初のきっかけが特に大事で、一日でも早く己の殻を破り「英語を使う」楽しみを体で感じることが重要だと思います。
<なぜUCLAを選んだか?>
渡米前に抱いていたUCLAのイメージは、アメリカを代表する名門校の一つであり、特に西海岸の学生においては憧れの学校であるといったものでした。渡米後、私がまだUCLAに入学する前に現地の学生や留学生仲間と大学の話をする際も、やはりUCLAは話題の的であり、皆UCLAに進学するためにGPAの成績をALL“A”に保つよう必死に勉強に励んでいました。私は当初「UCLAに行ければ良いな」という漠然とした気持ちしか持っていませんでしたが、徐々に周囲に影響され「絶対UCLAに行きたい」という気持ちを持つようになり、一段と勉学に取り組みました。当時私がお世話になっていたホストファミリーも、「UCLAの学生は皆大変優秀だ」と言っており、歴史あるレンガ造りの校舎や緑溢れるキャンパスも魅力的で「夢のキャンパスライフ」を送るならUCLAしかないとまで思うようになりました。合格の通知を受け取った時の喜び・達成感は一生忘れられません。
<UCLAでの学校生活は?>
UCLAの授業を初めて受けた時、一種のカルチャーショックを受けました。それは教授の授業進行が非常に早く、学生もそれに遅れることなく積極的に発言し理解を示すという、私がそれまでに受けてきた授業とのレベルの違いに直面したからでした。現地学生に比べ語学力においてハンデがある私にとっては、日々の授業の復習は当然のことながら次回の講義の予習を欠かすと全く授業内容がチンプンカンプンという事態になり兼ねないゆえ、毎回の宿題と予習・復習に追われる日々が続きました。
また、一学期の期間もセメスター制(4ヶ月間)ではなくクォーター制(3ヶ月間)ゆえ、毎週小テストやレポート提出があり、授業後は図書館にこもる生活の毎日でした。当時がこれまでの私の人生の中で一番勉強に没頭した時期であると自信を持って断言できます。一方で、平日勉学に追われる毎日を送るからこそ、週末の息抜きが重要であり、私の場合は家にこもるのではなく積極的に外に出てスポーツをしたり仲間と交流することで気分転換をしていました。特に、カリフォルニアのビーチでサーフィンや散歩をして過ごした時間が何よりもリフレッシュになっていたと思います。
また、UCLAには、勉学に励むのはもちろんのこと、ソーシャルライフも充実させている学生が多く、毎週様々なイベントやネットワーキングの案内などが構内に飛び交っていました。私も己の知見を広めるため積極的に参加をし、多数の友人との出会いが生まれ、今でも彼らとは連絡を取り合っています。その中でも、UCLAJSA(日本人同好会)には卒業するまでの2年間多くの仲間たちと活動を共にしました。様々な主旨を持ったイベントが役員を中心に企画・開催され、日本人留学生だけでなく「日本」に興味を持つ多国籍の学生たちと交流を深める場として機能しており、ロサンゼルス近郊の大学を一堂に集めて開催した「大学対抗運動会」では、ロサンゼルスの灼熱の太陽が降り注ぐ中、皆真っ黒(真っ赤?)になりながら競い合いました。普段は皆勉学に勤しみ、なかなか他校と交流する場が少ないゆえ、友達の輪を広げるためにも絶好の機会でした。さらに、学期終了後に毎回開催される「お疲れ様パーティー」では、3ヶ月間の苦しみから解放された喜びから大いに騒ぎ盛り上がりました。また、上記のFun Activityだけでなく、学生の将来に役立つ活動も頻繁に行われ、OBやMBA生の方々を招いての「就職セミナー」は、日本の学生に比べ就職活動に関する情報が少ない留学生にとっては非常に有益な機会であり、多くの学生が参加をしました。
<留学で得たもの>
約5年間に及ぶアメリカ留学生活の中で、上記には書ききれないほど様々な経験をしましたが、留学を通して得たものといえば、語学力はもちろんのこと何事にもまずはチャレンジする「挑戦力」であると思います。留学前は、新しい環境に飛び込むのになかなか思い切れず躊躇する場面も多々有り、結局行動に移せず後悔することもありましたが、現在では考える前にとりあえずトライしてみようという積極的な思考になり、現在の仕事にも生かされていると思います。将来はMBAを取得することも目標の一つであり、今後とも留学生活で養った「日々の努力は必ず実を結ぶ」ことを信じて日々前進していきたいと思います。
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