UCLA Club of Japan
 
UCLA Logo royce hall
HOME ABOUT US UCLA FACTS SUPPORT US DIRECTORY
 


UCLA 留学体験集

学部留学1

学部留学2

MBA留学1

MBA留学2

MBA留学3

MBA留学4

MBA留学5

 

Contact Us

Links

Sponsors

     

清水 裕一(Class of 1999)さんの留学体験

モルガンスタンレーディーンウィッター証券退社後、私費留学
バックグラウンド: 投資銀行業務(3年半)
現在:株式会社TVグルーヴ・ドット・コム 代表取締役、株式会社イーライフ 取締役、株式会社インフォルムス 取締役

=卒業後8ヶ月時点での状況(2000年2月) =
起業について
1994年3月に京都大学法学部を卒業した私は、就職に際して、絶対にこれがしてみたい、という純粋な興味や情熱にもとづいた希望はなく、漠然と、国際的でスケールの大きな仕事ができ、語学力やビジネスのスキルを短期間にたくさん習得でき、かつ将来のMBA留学に備えてお金がたまり、退社しやすい、ネームバリューもある、などという極めて現実的・実用的な要件をもとに就職活動を行ないました。その結果、米系投資銀行のモルガン・スタンレー(現モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター)の投資銀行部への就職が決まり、1997年夏までのおよそ3年半、前半はハイテク企業や金融機関を対象としたコーポレート・ファイナンスで、後半は株式の引受・シンジケート業務を行う部署で働きました。仕事は非常にハードではありましたが、グローバルな資本市場を舞台にしたスケールの大きなファイナンスの案件に数多くかかわることができ、その中で得られた経験は非常に有益なものばかりでした。ただ、次から次へとファイナンスの大型案件をこなしていくことは、チャレンジングであり、いい仕事をしていけば評価も報酬も上がっていくという恵まれた環境ではありましたが、同時に私はある種のフラストレーションを感じるようになりました。私が関わっていたそれぞれの案件は、当たり前ですが、それぞれが別々の顧客に対するものでした。ですから、あるひとつの大きな案件に関わって、そこでいかに莫大な時間とエネルギーを注ぎこんで成功に尽力しても、その案件はたいてい数ヶ月で終わり、それが終わればまたすぐに違う顧客に対する全く違う案件をスタート地点から始めなければなりません。またこれも当たり前のことですが、各案件をどんなに成功裏に導いたとしても、その成果の所有者となるのは顧客であり、バンカー側に残るのは手数料つまりお金、それと「あの有名企業が何年に行なった何千億円規模の案件に関わった」という実績(これが積み上がることがバンカーとしてのキャリアアップになる)だけです。またバンカーは基本的に裏方役であり、世間的な表舞台に出ることはほとんどありません。私はたくさんの新規株式公開の案件に関わりましたが、新たに上場する会社の経営陣が報道陣やアナリストの前で、本当にうれしそうに、また誇らしげに上場の喜びを表しているのを見て、いつもうらやましく思っていました。私は、どうも自分の人生の貴重な時間とエネルギーをこのように使っているのはもったいないと思いはじめました。そして私は、自分の夢なりビジネスを持ち、自分の時間とエネルギーを全面的かつ継続的にそれに注ぎ込み、それをどんどん育てていきたい、そしてその成果はまさに自分の手で育てた果実として存分に享受したい、と思うようになりました。つまり、バンカーやコンサルタントといったいわゆるエージェント的な仕事ではなく、自分の商品や作品や資産をもって表舞台に出て行く「プレイヤー」を目指したいと思うようになったのです。

しかし、MBA受験の際には、このエージェントからプレイヤーへという大きなテーマはあったものの、自分が一体何のプレイヤーになるのかということはさっぱりわかりませんでした。受験の結果、幸いにいわゆるトップ10ビジネススクールには何校か合格しました。その中にはシカゴ大学のようなファイナンスを看板にするような学校もあり、周りの人はそろってそのような学校への進学を私に勧めました。しかし、アンダーソン・スクールにいわゆるエンターテイメント・マネジメントなるコースがあることを知り、かねてからアメリカの映画やテレビといった大衆エンターテイメントに趣味的なレベルで興味があった私は、半信半疑ながらも、もしかしたらエンターテイメントにフォーカスした勉強や就職活動ができるかもしれないと思い、それだけの理由でアンダーソンへの入学を決めました。

その選択は大正解でした。アンダーソン・スクールでの2年間は私にとって誇張でなく夢のような体験でした。ハリウッドのエンターテイメント・ビジネスの最前線で活躍している人たちの講義やスピーチを聞く機会が年間を通じてたくさんあるのはもちろんのこと、エンターテイメント・キャリア・ナイトのように業界の人たちと出会い自分を売り込むことができるような機会も多く、自分の意欲次第でハリウッドの最もホットな部分に飛び込んでいけるような環境がそろっていました。またエンターテイメント業界への就職を志すアンダーソンの同士たちと交わることは、いつも非常に刺激的で、多大な勇気とヘルプとインスピレーションを受けることができました。業界で活躍する卒業生が多いのも大きなメリットでした。またLAの中心に位置するUCLAは、ハリウッドの全てのメジャー映画会社と目と鼻の先にあり、就職活動やインターンが非常にやりやすかったです。よく面接会場で他のビジネス・スクールのエンターテイメント業界志望の人たちと会いましたが、彼らはいつもアンダーソン・スクールをうらやましがっていました。私自身、サマージョブとフィールド・スタディをドリーム・ワークスで、2年目の冬と春の学期にはニュース・コープでインターンをしました。

1999年春、卒業が近づきいよいよ進路を決めなければいけない時期になりました。幸いインターンとして働いていたニュース・コープから日本の衛星放送事業に関わる仕事の内定がありました。衛星放送事業は、日本のエンターテイメント業界では、これから最も成長が期待される分野のひとつであったので、その点に関しては非常にうれしかったです。ですがその反面、私の前職そしてMBAの学位から、私がファイナンスや経営の専門家であるというイメージが強く、私に期待されるファンクションもどうしてもそういうものになりがちで、もっとクリエイティブな方向に進んで行きたいと思っていた私にとっては、この職場で本当に自分のやりたいことができるのだろうか、という不安もありました。そんな時、ニュース・コープの予算の関係でヘッド・カウントが空くのが秋以降になるということになり、少し考える時間ができました。

私の頭の中でもうひとつ猛烈な勢いで育ってきていた関心がありました。アンダーソンに入学した97年から卒業した99年ぐらいのアメリカは、(現在も続いていると思いますが)インターネットがまさに爆発的な成長を遂げている最中で、アンダーソンにいても、日常生活をしていても、デジタル/インターネットの波が、社会そのものを、まさに根底から変革しようとしている状況を肌で感じ取ることができました。当時そのことが、自分のとるべき行動にどう影響してくるのかは、よくわかりませんでしたが、何か異様な興奮と切迫感を感じ、もはや「いても立ってもいられない」気持ちになってきました。それで最後の学期のファイナルが終わりに近づき、時間的に余裕がでてきたころから、色々なビジネス・プランを考えはじめました。全部で20ほど考えましたが、最初名案と思えるアイデアでも、大抵1、2時間考えるとうまくいきそうもないことがわかることがほとんどで、しばらくの間、悶々とした日々が続きました。ところが最後のファイナルが終わった日に、ふと思い浮かんだのが、アメリカのテレビ番組をインターネット上で日本の視聴者向けにプロモートするというアイデアでした。小資本で始められる、自分に興味がある、競争があまりない、ニッチではあるが今後成長が期待されるトピックである、今まで築いてきたハリウッドでのネットワークを活用できる、アメリカの主要メディア会社は、日本市場への進出を拡大しブランドを浸透させるにあたって、多チャンネル・デジタル化時代を迎えたテレビを最大限活用しようとしており、彼らのプロパティのプロモーションを手助けすることになる私のビジネスは彼らの協力が得やすい、などの理由でこのアイデアでいくことにしました。

卒業後2ヶ月間はLAに残り、最後のネットワーキングと資料集めをし、8月下旬に帰国、9月に三重県津市の自宅の一部をオフィスにし10月からサイトの製作をはじめました。そして2000年2月にサイトのベータ版を立ち上げ、現在4月のファイナル版のローンチに向けて、サイト運営に関するデータやノウハウの蓄積を行なっているところです。

ただ私の場合、スケールの大きな事業計画書を書き、大規模な出資を受け、数年以内に上場、億万長者をめざすというベンチャーの典型的な成功の公式に従うつもりはありません。自分のやりたいことを追及しようとして、それに適したスタイルがたまたま起業であっただけであり、私の目指すものは、時代を超えて生き続けるような製品なり作品なりを、自分のもてるもののすべてを注ぎ込んでつくっていくことであり、ただ目先の公開利益のみを目当てにしたような会社経営に追われることなどは、その過程の妨げになるものであるとさえ思っています。もちろん経済的な自立は大切です。要は自分のやりたいことが存分にでき、それが世間に何らかの利益をもたらし、その報酬としてやりたいことをするのに十分なお金が入ってくるという環境がつくれれば最高だと思います。

最後に、アンダーソン在校生および卒業生の方々には、多大な励ましと支援を頂いており大変感謝しております。私の同期1999年卒業生の方々はもちろんですが、2000年卒業予定の方々は例年に増して多彩なバックグラウンドを持った方が多く、コンピュータ、情報通信、エンターテイメント、メディアなど、私があまり知らない分野について、大変親切に教えていただいたことを今も非常に感謝しています。今後もこのすばらしいアンダーソンのネットワークを私の貴重な財産として大切にしていきたいと思っています。
以上

 

=近況(2009年3月)=
上記の文章を書いたのがちょうど9年前でした。その後いろいろな紆余曲折や試行錯誤がありましたが、不思議と当時にイメージしていたのとほぼ同じような会社・事業形態になってきていて、何でも考えてやってみるもんだなと感じています。アンダーソンで得たビジネスやエンターテイメントに関する知識やネットワークは今も自分の土台として日々役立っていることを感じます。学校で学んだ知識はそのままの状態では机上の空論でしかありませんが、その知識と実際のビジネスの現場との間の往復を何百回、何千回とおこなうことで、初めて使える知識になっていくんだということが、自身の起業を通じてとてもよく実感できました。今、世の中は景気が悪いですが、大局的に見ると繰り返されるサイクルの一端に過ぎないわけですから、あまりその時々の情勢にとらわれすぎず、自分の本当にやりたいことを見つけて追求していくのがいいんじゃないかと思います。その結果として、起業やエンターテイメント・ビジネスを志す人が増えてくれるとうれしいですね。

 

 

Copyright(C) 2012 UCLA Alumni Association, All rights reserved.